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カリエール展  [絵画・美術館展・博物館展]

損保ジャパン日本興亜美術館で「没後110年 カリエール展~セピア色の想い」を観てきました。絵画展は本当に久々なので、嬉しく、また楽しかったです。

20160910_poster 

公式サイト:http://www.sjnk-museum.org/program/current/4196.html

19世紀フランス象徴主義を代表する画家ウジェーヌ・カリエールの絵画展。「セピア色の想い」と副題にしているように、カリエールの絵はほとんどセピア色で、題材も彼の奥さんや子供たちが多く、彼の絵を観続けているとどこか不思議にホッとし心の奥が癒され、そして次第に気持ちも落ち着いて穏やかになる、そんな感じになりました。今回展示された80点近い彼の作品は、白黒写真がどこか趣があって素敵なように、この絵画もとっても趣があり素敵で、派手な色使いの絵も魅力的だけれど、セピア色の絵も魅力的だなあと改めて思いました。

この展覧会で彼のことを始めて知り、今回観れて良かったです。絵画の所蔵先をみるとほとんどがフランスの個人所有のものばかりで、わずか数点のみが新潟市美術館所蔵のものでした。道理で、あまり目に触れることもなく、知らないはずだ、とも思いましたが。ルノアールがモデルにした女の子の家族を描いたり、生前親しかったらしい彫刻家のロダンの肖像画があったり、ゴーギャンが亡くなったときにオマージュとしてピエタを描いたり…と、印象派の時代の人たちの名前が出てくると、つながりが見えて楽しくなりました。

また常設展のゴッホやセザンヌ、ルノワール、ゴーギャンも良かったけれど、私はいつもこの美術館に行くとグランマ・モーゼスの絵が楽しみです。行くたびに違ったグランマ・モーゼスの絵が飾ってあるのが嬉しい。係りの人に聞くと30点くらいこの美術館には所蔵されているとのこと。まるで大草原の小さな家の世界を描いているような絵なので、本当に気分がアップします。

やっぱり美術館行くのいいなあと思いました。


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函館珈琲 [日本映画 ドラマ]

汐留FSにて「函館珈琲」を観てきました。 

ポスター画像

映画公式サイト:http://www.hakodatecoffee.com/

舞台挨拶付きの特別試写会でした。プロデューサー、監督、脚本のスタッフの方々や出演者の皆さんが登壇しました。ふつう一般の人の写真撮影はこういった場所では許されないのですが、「どんどん撮ってぜひ拡散してください」というので、私も写真を撮ってきました。

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左から、夏樹陽子さん、中島トニーさん、片岡礼子さん、黄川田将也さん、Azumiさん、あがた森魚さん、西尾孔志監督。

(夏樹陽子さんが細くてきれいでした。私の席の3つ前くらいに座って、その後も映画を観ていかれました) 

映画は函館を舞台に、古くて洒落たアパート翡翠館に集まる若者たちを描きます。翡翠館のオーナーの時子(夏樹陽子)は、「一か月無料でアパートの部屋を貸すけれど、その後ここに住んでいいかどうかは私が決めます」 と新たに翡翠館にやってきた桧山(黄川田将也)に言い放ちます。時子は若い才能を後押しする意向でこの翡翠館を開いていました。桧山は表向きは古本屋を生業とすると言いつつ、本当は一作書いてそのあと書けなくなってしまった小説家でした。

このアパートにはトンボ玉ガラス職人の一子(片岡礼子)やテディベアアーティストの幸太郎(中島トニー)、ピンホールカメラの写真家の佐和(Azumi)が住んでおり、それぞれが何らかの事情を抱えつつ、自分の夢に向かって活動していました。

函館の雰囲気がとっても素敵でした。そして古びたこの翡翠館も。路面電車があり、教会があり、坂道があり、海があり、キラキラ輝く美しい夜景があり、「この街は流れる時間が違う…」とプロデューサーがこの映画を紹介するときに言っていましたが、本当にそんな感じのちょっと緩やかな映画で、レトロ感も満載でした。

行き詰った主人公の桧山は、最終的には函館珈琲というカフェをこの場で開き、その一方で小説を書き始めていました。時間が止まったままの時がまた動き始めたのです。素敵な映画でした。

この映画は函館イルミナシオン映画祭オープニング上映の映画だとのことで、函館でも映画祭があるのだなあと初めて知りました。函館はツアーでしか行ったことがないので、今度はゆっくり個人で行きたいなあと思います。


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漂流 [本]

漂流(角幡唯介著)を読みました。

漂流

漂流

  • 作者: 角幡 唯介
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/08/26
  • メディア: 単行本

この本は小説新潮に連載された「ある鮪漁師の漂流」をまとめ「漂流」とタイトルを変更して本になりました。1994年2月に沖縄の漁船第一保栄丸の船長本村実と8人のフィリピン人乗組員が行方不明となり、3月に入って救命筏で漂流した全員がフィリピンの漁師たちに発見され全員無事であったという記事を手掛かりに、角幡が元新聞記者の本領発揮とばかりに様々な取材を行い、鮪漁師という生き方にスポットを当てています。

漂流の末、生き残った船長の本村に話を聞こうと沖縄まで出向く訳ですが、初っ端から出端をくじかれます。本村の奥さんの話では本村船長は助かったあと8年のブランクのあと海に出て、それからまた戻っていないと知らされるのです。

沖縄の宮古島のすぐ近くにある伊良部島の佐良浜出身の本村実の育った環境や、マグロ漁全盛の時代、ダイナマイトをしかけての沈船の解体やダイナマイトでの漁などその背景が示されます。実際に当時本村船長と一緒に乗っていたフィリピンの船員が今もなお現役で仕事をしていることもわかり、船会社の好意でグアムから漁船に乗せもらいもします。そこでフィリピンの船員に話を聞くことは勿論ですが、フィリピンにも行って残りの船員たちにも話を聞きます。

人間が生命にかかわる極限状態を体験したときに、「サードマン現象」の報告がいろんな場面でされているようですが、ここで漂流したフィリピンの乗組員の一人も何度も少女の幻影を見て、自分たちが助かることがわかったと証言していて面白いなあと思いました。

また漁師たちは漁に出てはたくさんのお金を稼ぎ、陸に戻るとそのお金で飲めや歌えの宴会が半端なく、また港には大判振る舞いで買った女性たちがいて、最後には一銭も残らないような派手な生活をしていることも良くわかり、また船を持って経営することも大きな稼ぎになる時もあれば時に大きなリスクを背負っていることも良くわかり、この本には単なる漂流の話にとどまらない漁師たちの生き様や漁業そのものがわかる本でした。実に読みごたえがあり、しかも全く飽きさせることのない文章でグイグイ引き込まれました。やっぱり彼の本は面白いと思いました。

死が隣り合わせにある世界に角幡はとっても興味があるらしい。確かに生きていると実感できるのはそういうことかもしれないというのも何となく理解できます。でもどうかあまり危険な場所に足を踏み入れてそれに飲み込まれないように、そして長く読者を楽しませてくださいと思ってしまいます。


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水源 [本]

水源(アイン・ランド著)を読みました。

水源―The Fountainhead

水源―The Fountainhead

  • 作者: アイン・ランド
  • 出版社/メーカー: ビジネス社
  • 発売日: 2004/07/08
  • メディア: 単行本

NHKの実践ビジネス英語を普段聞いているのですが、その講師である杉田敏先生が何年か前のテキストに「アイン・ランドの本にとても影響を受けた」と書いてあるのを読みずっと読みたいなあと思っていました。

ちょっと古いデータですが、1998年のアメリカ出版社のランダムハウスが実施した20世紀の小説ベスト100の1位、2位、7位、8位をこのアイン・ランドの本が占め、2位にこの「水源」が入っています。(ちなみに1位は「肩をすくめるアトラス」)アメリカの教養ある人なら誰しもアイン・ランドの本を読んでいて、彼女のその本はいろんな人に影響を及ぼし、アイン・ランドを熱狂的に愛している人たちもかなりいるとのことです。

さて、1000ページ以上もある「水源」の感想ですが…。

久々の長編小説。まずは面白かったです。

建築家ハワード・ロークの信念を貫いた生き様を描く物語であり、そこには恋愛物語もあり(でもかなりロークとドミニクの恋は不可解でしたけれど)、ある種の思想が書かれていて、物語もいろんな展開をするので結構楽しく読み終えることができました。

自己中心主義者であるか、あるいはセコハン人間(セコンド・ハンド人間=中古人間)であるか?これが主要なテーマでもありました。

ロークは自分の信念を曲げずそのため、世間の風当たりをまともに受けてしまいうまく立ち回れません。大学は中退になり、師事した建築家ヘンリー・キャメロンはそのあまりの独創性を世間に認められずかなり落ち目です。それでもキャメロンに師事し続けます。そして友人キーティングの誘いにも乗らず、生活を安定させる道を歩みません。そして工事現場で働くようなこともします。でも最後には信念を貫いたおかげで、全てのものを手にするのです。彼が法廷で語っている言葉を借りれば、彼は自己中心主義者の仲間の部類に入る人間です。

一方、そんなロークに比べ、絶えず優等生で周りの期待どおりに行動し社会人になってからも大手の企業で成功を収めるピーター・キーティング。成功のためなら今まで付き合って自分が一番ホッとできるキャサリンとの結婚の約束も反故にし、突然言い寄ってきた美女のドミニクと電撃的に結婚もしてしまいます。従来あるものをうまく融合させることには長けていますが、オリジナリティがありません。いろんなところでオリジナリティあるロークの設計図を基本に使っては、自己流にまたアレンジしています。ルークはこういった人たちのことをセコハン人間(セコンド・ハンド人間=中古人間)と言っています。そして悲しいかなキーティングは最後には人生がうまくいかなくなっていきます。

「創造的仕事、たった一人で考え働く自己中心主義者に対し、誰かに依存し、強奪、搾取、支配を生むセコハン人間」「創造者が否定され、抑圧され、迫害され、搾取されつつも、前に前に進み自らの活力を人類に与え、進歩させてきたのに対し、セコハン人間は人類の進歩に何の貢献もしてきませんでした」…ロークは貧しい人たちのための公共住宅を作ることが夢であり、そのためならお金も要らない、しかし完全に自分の思い描いたもので作りたいという願っていました。しかしその公共住宅を作る話は当時成功を収めていたキーティングへと依頼が来ます。キーティングは低予算でそんな公共住宅を作ることができません。いつもゴージャスなお金をふんだんに使った建物を設計していたからです。そしてキーティングはロークにやらないかと話を持ち掛けます。ロークにしたら願ったり叶ったりです。無報酬でも引き受けたい仕事なのです。ロークはキーティングに約束させます。自分の設計に一切付け足したり削ったりしないこと。しかし、実際にはキーティングの事務所ではロークの設計に余計なものをつけてしまうのです。そしてその結果、自分の作品ではないものになってしまったと思ったロークはその建物に火をつけ燃やします。そして法廷に引っ張り出され、自己中心主義者とセコハン人間の功罪を述べるのです。

ロークと同じような生き方をしたのはロークが師事したキャメロンや彫刻家のスティーヴン・マロニーでした。彼らは、自己中心主義者たちでした。そして多くの人たちがセコハン人間でした。特にキャサリンの叔父であり、コラムニストのトゥーイは、オピニオンリーダーであり、ロークを社会的に抹殺しようと画策します。自己犠牲を推奨し利他主義を主張し、マスコミを使って人々を操作します。トゥーイ自身がセコハン人間の代表格でした。

訳者の藤森かよこ氏が「「水源」においては、奴隷を必要としない自由で独立した個人と、奴隷によって支えられる支配者という名の奴隷と、単なる奴隷が、数々の戦いを繰り広げる。「水源」とは、このような政治思想小説である」と言及しています。

一方、恋愛小説の部分では分かりにくかった部分がありました。ロークとドミニクの関係です。二人はお互いに好き同士にも関わらず、全然一緒になろうとせず、最後の最後にやっと一緒になりました。特にドミニクはロークが好きなのに、キーティングと衝撃的に結婚し、その後バナー新聞の社主のゲイル・ワイナンドのこちらも急な求婚に即座に応えてキーティングとの籍から抜いてすぐさまワイナンドとの籍を入れ、彼女の本心がどこにあるのか、全く良くわかりませんでした。謎の美貌の女性という感じ。それでも物語の展開としては色んなことが急展開して面白くはありましたが。

皆それぞれの胸の内にあるその信念なり、信条に沿って、好きに生きたらいいなあと思いました。ロークのように生きたければそれもあり、キーティングのように生きたければそれもあり。何でもアリだよ、と私は思いながら読み進めました。

長編なので時間をじっくりとれるときに読むのがお勧めです。


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村上春樹の本 何冊か [本]

ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集

ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2015/11/21
  • メディア: 単行本

村上春樹の紀行文集。彼が暮らしたボストンでの野球のこと、マラソンのこと、ダンキンドーナッツのこと。アイスランドでのパフィン(鳥)、温泉、オーロラ、ガソリンスタンドにクレジットカードのこと。オレゴン州のポートランドとメイン州のポートランドのおいしい食事のこと。住んでいたギリシャのミコノス島とスペッツェス島への再訪のこと。ニューヨークのジャズクラブのこと。フィンランドでのカウリスマキの経営するバーと、シベリウスが過ごしたアイノラ荘のこと。ラオスのルアンプラバンのこと。イタリアのトスカナのワインのこと。熊本での漱石の家と万田坑とくまモンのこと。

特に本の題名になっている「ラオス(なんか)にいったい何があるんですか?」とベトナム人に質問されて、その答えのようなもの書いている筆者の答えが、とっても心に響きました。それは私も共感することだからです。

「…僕がラオスから持ち帰ったものといえば、ささやかな土産物のほかには、いくつかの光景の記憶だけだ。でもその風景には匂いがあり、音があり、肌触りがある。そこには特別な光があり、特別な風が吹いている。何かを口にする誰かの声が耳に残っている。そのときの心の震えが思い出せる。それがただの写真とは違うところだ。それらの風景はそこにしかなかったものとして、僕の中に立体として今も残っているし、これから先もけっこう鮮やかに残り続けるだろう。それらの風景が具体的に何かの役に立つことになるのか、ならないのか、それはまだわからない。結局のところたいした役には立たないまま、ただの思い出として終わってしまうのかもしれない。しかしそもそも、それが旅というものではないか。それが人生というものではないか」

どの紀行文も面白かったし、もともと彼の文章が好きなので何でもOKだったけれど、特にラオスの紀行文は時間の流れ方が違うためか、はたまた仏教国でたくさんのお坊さんたちの姿を目撃しているためか、思考が内に向かっていて、含蓄ある言葉がたくさんあってより惹かれました。旅は色んなことを見聞きし新しいことを発見していろんな気づきの場でもあるけれど、その気づきのようなものがこのラオスの紀行文にはたくさんあった感じがしました。それがとっても面白かったし、私にとってはこの本を読む意義みたいなものなんだなあと思いました。

まだまだ世界には知らない世界が広がっていて、私ももっと見てみたいなあと思いました。いつかまた出かけたいです。

職業としての小説家 (Switch library)

職業としての小説家 (Switch library)

  • 作者: 村上春樹
  • 出版社/メーカー: スイッチパブリッシング
  • 発売日: 2015/09/10
  • メディア: 単行本



読んでいてとってもゾクゾクするような内容でした。やはり村上春樹が評価されるには評価されるに値するものがあるのだ、と心底思いました。そして彼が考え行動してきたことがまた脱帽だなあと思えたりもしました。だからこそ評価され売れているのだなあと。そして私が村上春樹の作品が好きな理由もわかるいくつかの彼のエピソードが載っていました。

ジャズを聞けるお店をやっていたのは知っていたけど、銀行に返すお金がなくうつむいて歩いていたら、銀行に返すお金ときっかり同額のお金が落ちていてそれで支払いできたこと(「僕の人生にはなぜかときどきこういう不思議なことが起こります」「シンクロニシティといえばいいのか、何かの導きと言えばいいのか…」というエピソード)とか、神宮球場でヤクルトの試合をのんびり見ていて選手がヒットを打った時に、「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない」と思ったこと。(「ひとつの啓示のような出来事が起こり」「新鮮な感覚を持ちで」、「わくわくして」最初の「風に歌を聴け」を書いたとのこと)英語のエピファニー(epiphany)~「ある日突然何かが目の前にさっと現れて、それによってものごとの様相が一掃してしまう」体験のこと。彼はこの体験をして作家になりました。そして初めて書いた「風に歌を聴け」が群像の新人賞の候補に挙がったことを知ったとき「そのときにはっと思ったのです。僕は間違いなく群像の新人賞をとるだろうと。そのまま小説家になって、ある程度の成功を収めるだろうと。すごく厚かましいみたいですが、僕はなぜかそう思いました」と。こういう体験は他人事ながら私自身ワクワクです。こんな体験をしたら神様に作家になるよう背中を押されたも同じだなと思いました。こんな体験をしている作家だからこそ、私も好きなんだなと何だか目から鱗でした。

また原稿は何度も何度も読み返してもうこれ以上書きなおしがないと思えるところまで書きなおしをしていること。(当初は英語を書いてから翻訳するように文章を書いたらしく、リズムを大切にしているとのこと)作品一つ一つを出すごとに作家としてのチャレンジを様々に行い(一人称から三人称を取り入れること、日本がバブルで浮かれているころ、アメリカに出て行って自らの作品を広めるための努力をしていたことなど)それなりの努力を積み上げ、まさに精進しているその姿が読み取れました。どんなに調子が良くても悪くても一日に必ず10枚の原稿用紙を書くことを決め、マラソンすることで、ある種の「悪魔祓いをする」こと。コツコツと努力していたら神様が放っておくはずないなあとも思いました。また学生時代からやはりたくさんの本を読んでいて、しかも原書での本もかなり読んでいるようでした。それは作家となり、翻訳することにもつながり、海外生活を送ることにもつながります。何だかすべてがつながっているんだなあと彼の人生を見ていても思いました。

私にとっては「羊をめぐる冒険」が初めて読んだ村上作品でした。そしてそれが今でも一番好きな作品です。そしてこのときこの作品が彼にとっては初めての長編小説でした。集中して書くためにそれまで経営していた店をたたみ、専業作家となり、早寝早起きの生活を送り、体力の維持のためランニングを始めたとのこと。店からの収入のほうが大きかったのに、「もう後戻りできないように橋を焼いてしまった」というその潔い決断。まさに天晴だなあと思います。

また何より大切なこと。「文章を書くときの気持ちよさ、楽しさ」を言っています。楽しくて気持ちいいからやっているという姿勢。今まで文章書くのに苦しんだことがないと言っています。自分の中が満たされ出てくるまで待っていて、自分の奥底まで降りて行っていくらでも書けるというのです。まさに天職なんだなあと思いました。

楽しくて気持ちいいことを大切にし、またシンクロニシティやエピファニ―のような体験も大切にしている。だからこそ、私は彼の作品にこんなにも惹かれるのだなあと納得したのでした。何だかこの本を読んでますます村上春樹が好きになりました。彼の作品に巡り会えて幸せです。

村上ラヂオ3: サラダ好きのライオン (新潮文庫)

村上ラヂオ3: サラダ好きのライオン (新潮文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/04/28
  • メディア: 文庫

雑誌アンアンに載せたエッセイをまとめた第三弾。気軽にアッと読めてしまいます。肩の力を抜いてリラックスして。たぶん筆者が楽天的な感じなのでこうやってこちらもリラックスしながら読める。それがとっても心地いい。しかも好きな文章なので。

最後の「今日の村上」に書かれた一言が、つぶやきシローのエッセイの最後に「結局僕が言いたかったのは…」を思い出させ、毎回何故か笑えてしまいました。まあ「今日の村上」は全然まとめて言いたいことではないので本文のエッセイの中味と違って当然なのですが、エッセイの中味と「今日の村上」の開きがあればあるほど、このつぶやきシローのエッセイ本体と彼が書く最後の、実は内容を全くまとめていない「結局僕が言いたかったのは~」を思い出させてくれて笑わしてくれました。両方とも能天気な感じが、きっと楽しいのかもしれません。


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