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インドのダラムサラ~チベタンとダライラマ法王と平和行進 [旅の思い出・チベット文化圏]

1995年の冬、私はダラムサラに長居してました。

世界一周旅行に出かけてインドまでたどり着いたとき(日本を出発して1年3,4ヶ月経っていました)、何だか疲れてしまったので、居心地のいいダラムサラで一休みしようかなあ[揺れるハート]と思って立ち寄りました。

その間、幸いにもいろんなことがありました。

チベタンの正月の祝い。

それまで果たせなかったダライラマ法王[ぴかぴか(新しい)]との謁見。(なぜか法王の前に立つと、にやけて[わーい(嬉しい顔)]にやけて[わーい(嬉しい顔)]仕方がなったnaonaoでした。「タシデレー(こんにちは)[るんるん]」と言ったら法王も「タシデレー[るんるん]」とにこやかに挨拶してくれました。その1日はすごい至福状態[グッド(上向き矢印)]。やはり法王は観音菩薩の生まれ変わりなのでしょう。法王は海外に出かけてることが多いのでチベタンの新年の時期に行くと謁見のチャンスが大[ぴかぴか(新しい)]です)

ダライラマ法王[ぴかぴか(新しい)]による一週間にわたる説法。(世界中からたくさんの人々が集まってました。ラジオを持っていくとダライラマ法王がしゃべっているチベット語が通訳され、英語や中国語できけました)

ハリウッドスターのリチャードギア[ぴかぴか(新しい)]を何度もダラムサラで見かけ・・・。(でも普通のおじさんで小柄だった。背がすごく低かった。何だかがっかり[失恋]

そしてチベタンのお坊さんによる仏教講座とチベット語講座の受講。(当時は文字も読めたけど、今はダメだなあ)

ティパ(チベタン民族歌劇団)による歌劇鑑賞。(何度も見てますが、素敵[ハートたち(複数ハート)]です)

そして毎年恒例となっていたチベタンの平和行進に参加。

今日はそのうちの平和行進の模様を。

こちらは決起集会↓。中央2階にダライラマ法王[ぴかぴか(新しい)]がいらっしゃいます。

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こちらもお姿が小さいけれど、ダライラマ法王[ぴかぴか(新しい)]↓です。

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良く晴れてました[晴れ]↓。

ダライラマ

集会が終わり、ダライラマ法王[ぴかぴか(新しい)]自らが先頭にたってこれから平和行進します↓。

ダライラマ

こちらのお坊さんたちもこれから平和行進するところです↓。

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女子学生たちの平和行進↓。

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チベタンのおばちゃんたちも[かわいい]↓。

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人々がありんこのようです。たくさんのチベタンがこの平和行進に参加してます。この平和行進の先頭にはダライラマ法王[ぴかぴか(新しい)]自らが歩いていました↓。

人がアリンコみたい

列はどこまでも連なります。

アリンコみたいな人

この日はこんな風に平和行進するたくさんの人たちがいますが、最後はこういったお坊さんたち↓や、若者だけが残って、翌日も、またその翌日も・・・といった具合に何日間かかけてずっとデリーを目指して歩きます。当時目的地がデリーでしたが、「いつの日か平和行進の最終目的地をチベットラサまでにしたい[手(チョキ)]」と皆口々に言っていました↓。

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この日の食事[レストラン]、休憩、寝床となる場所↓。私も1日参加して歩き、この日はここに皆と野宿して、翌日にはダラムサラにまた戻りました。

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この平和行進は毎年3月の恒例行事になっていて、今年はより大規模な平和行進になったのだと思います。

早くチベタンに平和[かわいい]が訪れますように。合掌[手(パー)]

インド ダラムサラ

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おまけ:

隅田川の桜です。桜橋、言問橋、吾妻橋の辺りは隅田川沿いに桜がきれい↓です。

ずっと隅田川の両岸は桜です。
台東区側の桜。グランドの近く↓。
ほぼ満開[かわいい]です。
桜橋では、かもめがたくさん!!小学生の投げるえさに食いついてました↓。
すさまじい光景でした。
この日はうす曇り[曇り]でしたが、こういう天候の中で桜を観るのもまた乙なもの[かわいい]でした。
[かわいい]
[かわいい]

桜橋


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インドのダラムサラ~チベット亡命政府のあるリトルラサといわれる場所 [旅の思い出・チベット文化圏]

何日か前から始まったチベットラサでのチベタンによる暴動、中国側の弾圧、それに追随するように中国四川省、甘粛省、青海省、ネパール、インドなど拡がりを見せるチベタンのデモ、中国政府の死傷者の発表とインドダラムサラの亡命政府の発表の食い違い、中国側が外国メディアをシャットアウトするなど、かなりチベット問題がクローズアップ[目]されています。 

旅行記も今こそ、そのチベットやチベット文化圏を書くべきだなあと思い、今日からはインドのダラムサラを紹介していきます。

インドのダラムサラは、ダライラマ法王[ぴかぴか(新しい)]がお住まいになるチベット亡命政府のある場所です。リトルラサとも呼ばれてるようですが、寺などの文化的遺産はたとえ中国側にさんざん破壊されてきたといっても圧倒してラサのほうが素晴らしいので、インドのダラムサラを見て決してチベット文化を語ることなかれ。ラサに行かれることを是非お勧めします。

チベット文化圏が大好きな私は、これまでダラムサラに4,5回訪れています。ダラムサラは首都デリーからバス[バス]で10時間ほど。1800mの標高で結構涼しいところです。

初めてダラムサラに行ったのは1990年でしたが、それ以来インドに行くと[飛行機]必ず寄るようになり、3ヶ月以上長居したこともありました。同じモンゴロイド、そしてカメラ[カメラ]を向けると恥ずかしいと逃げてしまうような感性、ろうそくを消す時には息をかけずに手を振って消すようなそんな日本人に似た感性がすごく心地よく、いくらでもここにはいられる[ハートたち(複数ハート)]と思いました。

朝晩地元のチベタンの人々は必ず手に数珠やマニ車を持ちながら、マントラである「オムマニペメフム」と唱え、ダライラマの住む住居の周りを大きく回るように山道を回ります。私も一日に一回は一緒になって回っていました。

こちらはオムマニペメフムと書かれた石↓とタルチョ(祈願の書かれた旗)。

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地元のおばあちゃんやおじいちゃんもこんな風にコルラ(巡回)してます。

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木々がたくさんあるので気持ちがいい[かわいい]です。

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 こちらはダライラマ法王[ぴかぴか(新しい)]のお住まい近くにあるナムギャル寺院内↓。

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中央に飾られてる筍みたいな形のものは、ツァンパ(麦焦がし)でできたご供物で、法要の間飾られあとは皆に配られ食べられます[レストラン]。飾りとしても美しいです↓。

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ナムギャル寺院のご本尊↓。

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次から次へと地元の参拝者が訪れます↓。ちょうどこの時は仏様のお祭りの時期で、僧侶によるプジャ(お祈り)も多く行われました。写真[カメラ]を撮ったのはそれが終わってから。

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小豆色の袈裟と小豆色の長い座布団↓。僧侶はここに座ってお経を唱えます。

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タンカ(仏教絵画)がたくさん飾られる本堂内↓。

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砂曼荼羅↓が作られ、祭りの間飾られてます。祭りが終わるとすぐに壊されてしまいます。手前のご供物もツァンパ(麦焦がし)による手作りのご供物。

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こちらはダラムサラの宿の屋上に登って↓。下を歩いてる通行人に小石を投げて遊んでたここの宿の悪ガキたち[雷]ですが、もう18年前の写真なのでこの子供たちも大きくなったでしょう。チベタンと日本人はすごく似てるので、この子たちが日本人と言ってもわかりません。

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屋上からの眺め↓。向かいの建物はBookwormという本屋さんでした。右側の建物はケーキとチャイ[喫茶店]がおいてある喫茶店[家]です。街自体が小さいので、店屋も数件しかなくて旅行者にとっては居心地良い[黒ハート]ところでした。

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道の両側に並んで座ってるのはインドの乞食たち↓。チベタンがお金をあげたり、食事[ファーストフード]を与えたりする功徳を積むのにこの日がいい日とされることを、インド中の乞食たちが知っていて、ここに集まってきていました。一般のチベタンは1ルピーの小銭を端からひとりひとりの空き缶に入れたり、また食べ物[ファーストフード]をひとりひとりの器によそって与えます。延々と乞食たちが道の両側に座っているので、これまた圧巻な1日でした。

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ダラムサラの上のほうにあるバクスナート。大粒の雹[霧]が突然降ってきました。その後には美しい虹が見られました。

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はやくチベタンの人々に平和[ぴかぴか(新しい)]が訪れますように。合掌[手(パー)]

インド ダラムサラ


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インドのラダック地方 [旅の思い出・チベット文化圏]

インドのマナリー(デリーから北へバスで15時間くらい)から更に北へ走り、だいたい丸2日バスに揺られ、5000M級の山越えを二つ。ラダック地方のレーに入ったのは1991年9月のこと。ちょっと前までチベット旅行して高度順応していたためか、他の旅行者が高山病に苦しんでいたのを尻目に、私は至って元気でレーに入り、一ヶ月近く滞在しました。ちなみにレーは3500Mの標高があります。

左下の写真は、ラダックまでの道のりの途中見かけた、道を直すインドのおじさんたち。ご苦労様です。また右下の写真はラダックの都レーの道端で野菜を売るおばさんたち。チベット語の方言のラダッキを話しこんにちはは「ジュレー」といい、チベット語のこんにちはの「タシデレー」は使われてませんでした。

 インド  インド・ラダック・レー

下の写真はストゥーパ(仏塔)と近郊へ行くバス乗り場。ここからラダックにあるたくさんのゴンパ(寺)巡りのためにバスに乗ります。

インド・ラダック・レー

こちら下の写真はレーの町並み。小高い場所に上って撮影。紫外線がかなりきつかったです。

インド・ラダック 

インド・ラダック

一歩郊外に行くとこんな感じ。すごく広大な景色が拡がります。

インド・ラダック

ラダックに行ったらゴンパ(寺)巡り。ヨーロッパの教会巡りやタイのワット(寺)巡りと一緒です。最初は楽しいけれど段々飽きてきます(笑い)。スミス・ゴンパ、ティクセ・ゴンパ、アルチ・ゴンパ・・・たくさんあって回りきれません。あるゴンパでは千葉の成田山の寺に招待されて日本に行ったことがあるといって、その写真を見せてくれ、お茶までご馳走してくれた寺もありました。

既に16年もの歳月がすぎると一体どれがどこのゴンパだったかもかなり怪しい。下の写真はそれぞれのゴンパでの写真。ゴンパの名前わかりません。知ってる方教えてください

インド・ラダック

インド・ラダック

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インド・ラダック

インド・ラダック インド・ラダックインド・ラダック インド・ラダック

上の左下写真はインド軍のトラックの写真。ゴンパ巡りでバスを基本的に使うのですが、中々バスが来ないときにはよく道を往復してるインド軍のトラックの荷台に(時には助手席に)乗せてもらいました。地元の人もよく乗せてもらっていて庶民の足にもなってました。お金は取ってませんでした。ありがたや

印パの事実上の国境になってる停戦ラインがこの近くにあり、またインドが領有を主張し中国の占領下にあるアクサイチンが東にあるため、このレー・ラダックはインドにとっての要所です。そのためインド軍のトラックも頻繁に道を走り、また夜レーにバスで入ったときにはインド人の軍人に呼び止められパスポートの提示を求められました。ちょっと物騒で関わりたくないなあと思いましたが、結果的にゴンパ巡りの足としてはすごくお世話になりました。マナリーからのバスもこの軍用道路のためにかなり整備された道を走り、軍様様の状態でした。

下の写真は子供たちが集まっていたので、「大きな栗の木下で」を教えてきたところ。言葉はわからなくても、結構通じる。後は勝手に子供たちが踊ってました。

インド・ラダック

実りの秋。農作業するラダックの家族。のどかです。

インド・ラダック 

レーには他にも日本人旅行者がたくさんいたのですが、そのうち仲良くなったほかの3人の日本人と一緒に和食を作って食べることにし、せっかくだからと、一ヶ月ほどお世話になった民宿の家のおじいさんを招待して、味噌汁と煮物を作ってもてなしました。(味噌と醤油、だしを持ち歩いてる日本人がいて調味料は大活躍でした)その民宿には大きなあんずの木があり、いつもたわわに実ったあんずを勝手に他の日本人旅行者とごちそうになっていたのですが、このおじいさんに見つかったとき、あとからこのおじいさんがわざわざあんずを届けてくれました。恥ずかしかった~

おじいさんは、私たちの作った和食をおいしい、おいしいと何倍もお代わりをし、喜んでいました。よかった

9月末にもなるとラダックは一気にそして刻々寒くなり、マナリーからの軍用道路は雪のために閉鎖され、あとは毎日印パのドンパチやってるシュリナガル(カシミール地方)を経由してデリーにバスで出るか、飛行機で一気にデリーに飛ぶしかなかったのですが、飛行機は予約で一杯で席が取れず仕方なくシュリナガル経由でバスでデリーに戻りました。でもそれはすごく運が良かったのです。ドンパチやってる間はバスも出ず、たまたま停戦となった日がありそれを捕らえてデリーに戻ることが叶ったのですから。湖もあって避暑地になっていいところなのにシュリナガルが戦地になってるのはとても残念です。

ラダックの郊外にはザンスカール地方もあり、トレッキング好きな人にはいい場所です。標高高く、冬も早いので夏場のいい時期に行くのが鉄則。チベタンの流れを汲む人々が住んでるのですごく人々が和やかでいいところでした。ここがインドにあるとは絶対に思えないチベタン世界。チベットも近く東に行けばすぐチベットのチャンタン高原の西に出ます。また行きたいなあ。

ラダック

ラダック

  • 作者: 高木 辛哉
  • 出版社/メーカー: 旅行人
  • 発売日: 2001/06
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チベット―全チベット文化圏完全ガイド

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 旅行人
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  • メディア: 単行本

旅行人のガイドブックは頼りになります。地球の○○方(一説には転び方、迷い方って言う人もいます。笑えます)より断然優れてます。

インド

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  • 作者: サリナ・シング
  • 出版社/メーカー: メディアファクトリー
  • 発売日: 2004/03
  • メディア: 単行本

ロンリープラネット社のガイドブックも優れもの。日本版はメディアファクトリーで扱ってるようです。英語版では大変お世話になりました。今は日本語版が出てるのでいいですね。地図も地球の○○方より正確だし、大都市しか載ってない地球の○○方より小都市も載っていてバックパッカーの強い味方です。

氷の回廊―ヒマラヤの星降る村の物語

氷の回廊―ヒマラヤの星降る村の物語

  • 作者: 庄司 康治
  • 出版社/メーカー: 文英堂
  • 発売日: 1998/12
  • メディア: 単行本
ラダックのザンスカール地方の子供が氷の回廊を通って生活するために旅をする物語。NHKで以前放送されました。その世界は過酷ながら素晴らしいです。
 
ラダック 懐かしい未来

ラダック 懐かしい未来

  • 作者: ヘレナ ノーバーグ・ホッジ
  • 出版社/メーカー: 山と溪谷社
  • 発売日: 2003/06
  • メディア: 単行本
本当の豊かさは何か?を問われます。

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青海チベット鉄道 [旅の思い出・チベット文化圏]

昨日NHKで「青海チベット鉄道~世界の屋根2000キロをゆく」という特番があり、懐かしく見ました。

この鉄道は去年の夏に開通したばかり。西寧(シーニン)~ゴルムド~チベットのラサまでの列車の旅を11月ごろ撮影していたのですが、私自身も西寧(シーニン)~ゴルムドまでは列車に乗り、ゴルムド~チベットラサまでは1991年当時バスしかなかったのでバスに乗って、チベット入りしました。

当時西寧(シーニン)~ゴルムドの列車は丸一日かけての移動でした。朝8時近くに出発して翌日の朝7時頃の到着。7月に行ったのですが一面の菜の花畑がどこまで行っても途切れず感動しまくりました。そこでパチリとやったのが左の写真。この間の車窓は青海湖や塩湖もあり、また、塩を作る工場やヤクのフンを集め乾かし燃料にするため、家の壁にペタリと規則正しく並べてあったり、2こぶラクダの群れやら石垣やらも眺めることが出来ました。高度計を持っていた旅行者と一緒に移動したので高度が最高3700メートルを記録しているのを確認もしました。

またゴルムド~ラサ間のバスも昼12時半に出発し、翌日昼近くに到着。まる一日がかりです。テレビに出てきた5072メートルのタングラ峠も越えその近くで食事休憩したときには足がフラフラし、胸がバクバクですごい動悸がし、食事もそこそこにバスに戻ったのを思い出します。

またゴルムド~ラサ間にある沱々河(トートーフ)は、当時個人旅行者がチベットに接近するギリギリの場所でした。そこまでは公式にパーミットをもらい行くことができたのですが、それ以降は団体旅行でなければ行けませんでした。

公にチベットへの個人旅行が許可されるまで待とうと、一度はチベット旅行を諦め旅行していた私ですが、会う人会う人個人でチベット目指すという旅行者ばかりに出会っていたので、私も一度トライすることにしたのがこの旅行でした。そして公安の24時間体制のチェックポイントがあると有名な那曲(ナチェ)で、拍子抜けするほど公安の何のチェックもなく、無事チベットに入ることができました

テレビの快適な列車と比べると私の特にゴルムド~ラサのバス旅行は、公安に見つかったら終わりだと言うハラハラドキドキの旅行でした。しかもバスもオンボロで狭い席に足や頭をぼこぼこに打ちながら、高山病に対する何の方策も持たずに出かけ(といっても水を多めに取る、高山病になったら高度を下げるしか方策はないのですが・・)今思うと若いからできたのだなあと思います。しかしこの旅行はかなり恵まれていました。必要なときに必要な人に会え、ネットもない時代、必要な情報は手に入れていたのですから不思議です。またあるときは列車やらバスなど予定通り乗れないというような事態も起こっていたのですが、後から見るとそれは全てはうまくチベットに入れるためのお膳立てだったことがわかります。

ゴルムド~ラサも菜の花畑が広がり、湖があり川があり、標高が高く紫外線も強いので、その分空が近くて空も美しかった。テレビで紹介されていた風景とはまた違った風景を私は見ました。たぶん時代が違い、行った季節が違い、出発時間も大いに違うので見た風景が違ったのでしょう。

またテレビに映し出されていた列車内は夢のようでした。飛行機と同じ構造で酸素を保つように工夫され、必要なら酸素も吸え、しかも二等寝台も座席もきれいすぎで私の知っている中国の列車とは全く違ってました。時の流れを確実に感じてます。

2004年からポタラ宮ではライトアップも始まったとか。大型モールの建つ予定もあり、ますます人と物資が頻繁に行きかい、辺境の地チベットは辺境ではなくなりつつあるなあと、ちょっと寂しいそんな放送でした。(参考までに私のチベットの記事はこちら

 

 


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チベット [旅の思い出・チベット文化圏]

 

 

 

  

 

 

 

 

       チベットは私にとって、とても縁があるところです。何故か?それはたぶん前世に私がチベタン(チベット人)であったからだと思うのです。

ネパールのポカラでお坊さんを紹介され、前世を見てもらう機会がありました。その時私が「チベットの田舎に生まれて尼さんのような生活をしていた」と言われ、あながち嘘でもないなあと思ったのです。既にインドのブッダガヤでたくさんの仏教国の寺を訪れてましたが、日本寺、中国寺、ミャンマー寺、スリランカ寺、タイ寺・・とある中、何故かすっかり心を奪われたのはチベット寺でした。その寺に行って以来、いつか必ずチベットに行くぞと強く思ったのですが、当時は団体旅行しか許されておらず、入るのを諦めざるをえなかったりで、個人旅行が出来る日を待とうと思っていました。ところが、翌年中国を旅行してる間、チベットに近づくにつれ、「チベットにもぐりで入ります」という旅行者にどんどん会うことになりました。すごく不思議です。それなら私も一度トライしてダメもとと思い、入ることにしたら、何故かするするとチベットに入ることが叶ってしまうのでした。

「縁がある人はやはりどんなに困難であってもスルスルと入れてしまうんだなあ」とその時ほど思ったことはありません。何度トライしても当時チベットに入れなかった人は五万といるのに、私は全てがお膳立てされたようにスルスル入れてしまいました。

そしてチベットに入ってある謎が解けました。それは私が小さなときから何故か理由もなく好きな、強めのピンクと水色のことです。そのピンクと水色はチベットの娘さんたちの髪紐の色によく使われていました。私はそれを発見したとき、「この色なんだ」と大感激しました。私の好きなまさにその強めのピンクと水色なのです。この髪紐の色が好きだったのだ、と素直に納得したのでした。

世界中いろんな場所を放浪してきた私ですが、世界のどの地よりチベットはダントツに心地よく感じたエリアでした。チベット文化圏といわれるエリアがありますが、これらのエリアも大好きです。好きという感情が自然に出て止まないのは、それはやはり前世に影響してるのではないか、と真剣に思います。

チベットに入った一ヶ月、私はツキにツイてました。旅行中どこでも比較的ツイてましたが、チベットでは何の下調べもなく入り、デプン寺のタンカ(仏教絵画)の年に一度のご開帳があり、デプン寺の仮面ダンス、ノルブリンカ(ダライラマの夏の宮殿)のショトン祭(ヨーグルト祭)の仮面ダンスと祭りが立て続けにありました。そこにいるチベット人も「夏のこの時期が一番好きだ」と皆が言ういい時期だったのです。香港スターのユン・ピョウの映画撮影で、安宿ながら壁絵が美しいヤクホテルが使われ、スタッフに取り入ってくれた中国語べらべらの留学生もいて、夜一緒にごちそうにまでなりました。ユンピョウともツーショットで写真も撮り、握手もしてもらいました。一緒にチベット入りした、当時既にアフガニスタン入りした冒険野郎である男の子にも淡い恋心を抱き、とても幸せな一ヶ月間でした。

 




たくさんのイベントがあって、首都のラサからなかなか離れることができずにいましたが、それでも第二の都市のシガツェには行き、タシルンポ寺などみて来ました。ラサの宿にはシャワーがあっても、シガツェの宿にはシャワーなどなく、お湯を沸かして体を拭くということしかできませんでした。一週間いたので一週間シャワーも浴びず髪も洗わずでしたが、かなり乾燥してるので思ったほど不快でもありませんでした。現地の人もシャワーを浴びるのは年に一度くらいらしく、お風呂に毎日入ってる日本人は本当に特別なのだ、と悟りました。
 


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