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ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男 [イギリス映画]

「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」を一橋ホールで観てきました。

 



映画公式サイト:http://www.churchill-movie.jp/


今年のゴールデン・グローブ賞主演男優賞受賞(ゲイリー・オールドマン)、アカデミー賞主演男優賞受賞(ゲイリー・オールドマン)、メイクアップ&スタイリング賞受賞(辻一弘 他2名)


絶体絶命の第二次世界大戦時の中、イギリス首相に就任したチャーチルの27日間を描く物語。朝からスコッチウィスキーを飲み、風呂に入りながらも原稿をタイピングさせるチャーチル。Vサインを世に広め、電車に乗っては一般の人たちに今の状況をどう考えているか率直な意見を聞きに出かける型破りな行動に出て、ナチスドイツの侵略の手をどう扱うのか、判断を下します。


この映画を観ているだけで人間チャーチルが魅力ある人だと思わせる数々のエピソードが散りばめられていました。また主演でチャーチルを演じたゲイリー・オールドマンがやはり圧巻の演技力でした。さすがに賞を受賞しただけのことはある!またゲイリー・オールドマンから直接オファーを受けて、彼がメイクアップをしないのならこの役を降りるとまで言わしめさせた辻氏のメイクは確かにすごい。ゲイリー・オールドマンである片鱗が全くなくなってしまっているのですから。


ナチスドイツの侵略の勢いがすごくて、イギリスもヒトラーに屈するか、はたまた戦うかの決断に迫られ、結局は戦うほうを選び、結果的にイギリスは勝利したからこそ、今もチャーチルは伝説のリーダーと言われますが、これが負けていたら一体どうだったんだろうと思います。それこそこういう判断は紙一重。結果オーライだけど、もし反対の結果であったら!?と思ってしまいました。


この映画の鑑賞後、父親がイギリス人のハリー杉山と、東大・成城大名誉教授でイギリス現代史専門の木畑氏が出てのトークショーがありましたが、こちらは時間がなくてパスしてきました。「ウィンストン・チャーチル」の映画はチャーチルが首相就任してダンケルクの戦いまでを描いているのですが、今回アカデミー賞の編集、音響編集、録音の3部門を受賞した「ダンケルク」はフランス北部のダンケルクに取り残されたイギリス軍を救うというチャーチルの作戦を描いたものなので、この映画も一緒に観るとよりこの時代を理解できるといったようなことを木畑氏が述べている記事を後からネットで読みました。でも何日も前に同じようなことが書かれた映画評論家の記事を読んでいて、考えることはみんな一緒なんだなと思ってしまいました。

機会があれば「ダンケルク」を観るのもいいかもしれません。


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ダンガル きっと、つよくなる [インド映画]

インド映画「ダンガル きっと、つよくなる」をよみうりホールで観てきました。




映画公式サイト:http://gaga.ne.jp/dangal/


アーミル・カーン主演の映画。本国インドほか、世界でも大ヒットを飛ばしている実話を元に描かれたレスリング映画。レスリング一直線の熱血パパが二人の実の娘にコモンウェルスゲーム(かつての英国植民地の国々で今もなお4年に一度集まって行うスポーツの祭典=オリンピックみたいなもの)で金メダルを獲らせたいためにハッスルする物語。


結構うまくまとまっていました。音楽は色々映画の中でかかっていましたが、インド映画にあるお決まりの踊りは影を潜め、そうい意味ではインド映画らしくないインド映画でした。勿論、舞台はインドだし、インド人のオールスターキャストなので、インド色一色で観ていて楽しかったのですが、カラフルなサリーを着て、バンバン踊るようなインド映画ではなかったです。その点がちょっと期待はずれだったので残念でした。


アーミル・カーンはこの役のために体重を増やしたらしく、確かにとっても貫禄あり、ちょっと別人の様に見えました。何だか見ていて、ビリー・ジョエルに見えてくるから不思議。インド人は基本的に色を白くしたら白人、って誰かが言っていたけど本当にそうですね。目が大きくて彫が深くて。しかしこの映画がもっとコミカルな映画かと思っていましたが見事裏切られ結構正統派の映画でした。ちょっとうまくまとまりすぎてハリウッド映画を意識してるのだろうか。娘に自分の夢を託す父と、その夢を叶えようとする娘たち。ちょっとした感動映画になっていて悪くはないけれど、でも私はアーミル・カーンの映画なら「きっと、うまくいく」のほうが、好きだなと思いました。


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熊から王へ~カイエ・ソバージュⅡ [本]

中沢新一の「カイエ・ソバージュ」シリーズⅡ「熊から王へ」読みました。



熊から王へ カイエ・ソバージュ(2) (講談社選書メチエ)

熊から王へ カイエ・ソバージュ(2) (講談社選書メチエ)

  • 作者: 中沢 新一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2002/06/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


「野蛮」とは富の分配が非対照的、それゆえテロを招く。テロは「野蛮」であり、それに対する報復も「野蛮」そして「はるかなる視線(レヴィ=ストロース)」の立場に立ち、神話の研究が現代のこういった難問を解決できないだろうか?と問う。


人間は文化を持ち、動物は自然を生きる。そして「国家」が出現した途端に「文明」「野蛮」が出てくる。宮沢賢治の「氷河鼠の毛皮」や、トンプソン・インディアンの民話の世界では、人間と動物はこの世界において同等であった。人は殺した動物の恩恵に与かる代わりに、殺した動物の体を丁寧に扱わなければならないし、儀式も行い、必要以上のものも取らないという「法」のある世界=「対称性の社会」があった。これこそ「野蛮」でない世界でした。それがいつしかそうではなくなった…。


熊は恐れられるとともに親しみのこもった友愛をかきたてられる動物としてたくさんの神話に出てきます。それは北西海岸のインディアンたちの神話。カナダ、アラスカ、北アメリカのインディアン。そしてベーリング海の向こうのモンゴロイドの人たちまで神話はあります。人が熊になり、熊が人にまた戻ったり、半分熊だったり、互いに結婚したり、兄弟親子の関係になったり…。そして熊を殺したならば熊を丁重に扱う熊送りの儀式もありました。熊は自然界のシャーマンであり熊には治癒力があると考えられていたので、シャーマンになる=熊になること、そのやり方は世界で同じスタイルを取っているといいます。例えば、スペインの闘牛。また仏教での飢えと寒さに耐える修行。両者とも生きるか死ぬか定かでない精神状態で精霊を待つのだといいます。


アメリカンインディアンの首長は王には決してなりません。首長は平和をもたらし、気前が良くてはならず、歌や踊りがうまくなくてはならないと言います。インディアンたちは夏には狩猟をしますが、冬にはその反対に人が自然に食べられるという、人と自然が対等の社会でした。夏には首長のものが、冬には秘密結社+戦士+シャーマンとなり、その役割は決して一緒にはしません。これは仏教にも繋がるものです。そして中国西南部の雲南にいる人たち、日本、アメリカンインディアンとモンゴロイドの環の人たちの共通点でもあります。熊や鮭の取り方、動物霊への儀式、冬の祭りが聖なる時間であり、国家を作ろうとしなかった人たちです。


置き去りにされた人が特殊な能力を持って元に戻ってくるという話は世界にあり、そして熊を主人公とする色んな話が北東アジアから南北アメリカまで(まさにモンゴロイドの環)あるというのだから面白いです。


この本から、自然を丁重に扱い、感謝するというモンゴロイドの人たちの心構えさえあればテロもなくなるんじゃないか、と思えました。すべては力づくで支配でなく、お互いさまで、相手の立場もわかろうとする気持ちがあればいいことですものね。モンゴロイドの人たちの神話や思想がもっとヨーロッパの人たちに知られると、世の中も劇的に変わる気がします。カイエ・ソバージュⅠに続き、Ⅱも大変興味深く面白かったです。講義を収録したまま文字に起こしているような本なので、何だか大学に戻って講義を聞いている感じもします。このシリーズはまだまだあるので、続きも読みたいです。



おまけ:


仕事で先日多摩センター駅に行ったとき駅前通りに大きなキティちゃんのお雛様↓がお目見えしていました。多摩センターはキティちゃんの街らしい。多摩市挙げて「ハローキティに会える街」としてイベントがあるらしいです。




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人類最古の哲学~カイエ・ソバージュⅠ [本]

中沢新一の「人類最古の哲学~カイエ・ソバージュⅠ」を読みました。


人類最古の哲学 カイエ・ソバージュ(1) (講談社選書メチエ)

人類最古の哲学 カイエ・ソバージュ(1) (講談社選書メチエ)

  • 作者: 中沢 新一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2002/01/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


先日新聞を読んでいたら、あるユニークな書店を営むオーナーに「あなたのとってのこれぞという本は何?」と質問していました。そしてそのオーナーは中沢新一の「カイエ・ソバージュシリーズ」を挙げていたので、中沢新一なんて何て懐かしいんだろうと思い、今回読んでみることにしました。彼の本は昔何冊か読んだことがあり、特に彼が自らチベット密教を学びにネパールの寺で僧侶に弟子入りし修行をしているので、チベット関連でもちょっと一目置いていた人でした。


そしてこの本ですが、結構面白かったです。


導入に竹取物語(かぐや姫)が、「結婚をしたがらない娘の物語」として、この娘は「燕の巣の中にある子安貝を持ってくれば結婚してもいい」と求婚者に言うのですが、この燕の巣の中にある貝は、アイルランドやフランスのブルターニュ地方にあっても似たような話があり、今でも燕石=燕が巣に運んだ石にはひな鳥の目の病を治し、その石を持っていると安産で、しかも他にも医療効果があると伝えられているとのこと。また燕は昔から死と水の領域に関係し乾燥と湿気を繋ぎ、暗い世界と明るい世界を繋ぐ仲介のような役目を負っていて、燕が家の中に巣を作ることをピタゴラスの時代から忌み嫌われていました。豆も同じように生と死の仲介をした存在として知られ、ピタゴラスは豆もまた大変嫌ったそうです。


そして、世界中に残されている「シンデレラ」の物語。実に450ものバージョン、変形のシンデレラストーリーが世界中にあるらしいのです。よく知られたディズニーの「シンデレラ」は17世紀のペロー童話集に収められ、封建的身分制度が存在する中、社会的な高さと低さを媒介し、現実的に解決できない自分の抱える問題を思考の中だけで解決したものと言っています。


また19世紀に書かれたグリム兄弟の「灰かぶり少女」は民衆から直接聞き取った話として、原シンデレラとも言える存在で、義理の姉たちの足の指やかかとを切り落とし、鳩が目をつぶすという残酷な物語になっていますが、灰かぶり、小鳥、豆、ヘーゼルの木、母親の霊が生者と死者を仲介していると言います。導入での燕石や豆が生と死二つの世界を媒介しているようにです。


ポルトガル民話には「カマド猫」という話があり、魔法の力で魚になった王子と水の中に入った少女が結婚する=族外婚を通じて死者と異界のものとのコミニュケーションの回路を開いた物語になっています。


そして、南方熊楠が見つけた9世紀の中国「支那書」には「壮族のシンデレラ」があり、美しい魚とまるで恋人同士のように親しかった葉限(シンデレラ)は継母にこの魚を殺され食べられてしまうのですが、残された魚の骨を大切に扱うことで幸運をつかむ物語になっています。アイヌやアメリカンインディアンの儀式にも、魚や獣の骨をきれいに取って水に返す、森に返すといった儀式があるらしく、この物語にもつながるものと言っています。


また19世紀の「アルゴンキン伝説集」の「見えない人」という物語はミクマク・インディアンによるシンデレラですが、シンデレラの物語を批評した新しいシンデレラの話となっています。かまどのそばにいて灰を浴びているだけでなく、焼けた薪や炭を押し当てられてボロボロの肌へと醜くなっているこのシンデレラ。王子である「見えない人」の前でもこのシンデレラはやけどの跡を残した醜いままの姿です。ミクマク・インディアンはヨーロッパの王子さまは外見ばかりで判断し精神性が低く、「見えない人」が手に入れようとしたのは美しい魂であって美しく着飾ったシンデレラではないと批判します。


世界中のシンデレラストーリー、面白いです。この本には元となっている話も載っています。


そして、シンデレラが残していった「片方の靴」の意味を読み解いています。古代ギリシャのオイディプス神話に、片足のくるぶしが不自由で自由に歩き回れないオイディプスが出てきます。彼は父を殺し、母と近親相姦、盲目となり、死の放浪に出るのですが、オイディプスには跛行のイメージがあり、死者の領域とコミュニケーションをする能力を持ったことで跛行を余儀なくされた存在とのこと。そしてオイディプス=シンデレラであり、実はシンデレラは死の世界と生の世界を繋ぐシャーマン的存在と言っています。


実際ロシアからトルコ・ギリシャのシンデレラ物語には「毛皮むすめ」というのがあり、オイディプスの近親相姦が形を変えて出てきます。


シンデレラはオイディプス神話であり、シャーマンの物語だったということですね。


そして、最後に神話と現実をテーマにしています。


インドの古代宗教「リグ・ヴェーダ」に「ソーマ」という謎の液体飲料が出てきますが、「ソーマ」とは一体何なのか、ずっとわからなかった時代が続いたそうです。でもそれはベニテングタケというキノコで、口にすると意識が高揚し幻覚作用を起こすとのこと。宗教を行うバラモンが口にし、体を通して尿として出したものを人々がまた飲むという儀式らしいのですが、これはシベリア北東部のエスキモーたちがベニテングタケを口にし尿を出してその尿で体を洗い食器を洗ったりしているのと共通しているといいます。


カムチャッカ半島のイテリメン族の「チェリクトフとベニテングタケ娘」という神話では、ベニテングタケのもたらす幻覚作用の誘惑はほどほどに付き合うにはいい効果を発揮するが、はまり込みすぎると危険であることを教えています。


神話は現実と幻覚の間に立ち、2つを仲介するのですが、幻覚の世界に埋没することの危険、あまりにも踏み込みすぎると人間は宇宙の中でバランス失ってしまう、何ももたらされなくなると言っています。


神話に限らず、小説を読みふけったり、映画を観たり、ドラマを観たり、あまりにものめり込んでしまえば、社会現象にまでなったあまちゃんロスとか、五代ロスとかになりうるということかな~と思いました。夢中になるのはいいけれど、現実世界とのバランスがやはり大切ですね。



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東京スカイツリータウン 映画『今夜、ロマンス劇場で』公開記念映画衣裳展 [観劇・踊り・イベント・ライブ]

東京スカイツリータウンのバレンタインイベントで、映画『今夜、ロマンス劇場で』公開記念映画衣裳展を観てきました。

 

 東京スカイツリータウン バレンタインイベント:http://www.tokyo-solamachi.jp/new/event/918/

「今夜、ロマンス劇場で」のnaonaoの記事:http://naoazucar.blog.so-net.ne.jp/2018-01-31


実際に主演の綾瀬はるかが着た衣装が10点以上。それと映画で使われていたオカリナと原稿、映画のフィルム、アルバムの展示。雑な写真撮影になってしまいましたが、その一部を撮って来ました。


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衣装はやはり人が着たほうが映えるし、綾瀬はるかが映画の中で観た衣装のほうが何十倍も素晴らしく見えました。色合いにしても生地にしても。色は映画の中で観た色合いのほうが素敵だったし、生地も実際に見ると意外とペラペラで、びっくりしました。でも映画も観れて、こうした衣装展も縁あって観れて楽しかったです。


この映画を観た前日に実際に主演の綾瀬はるかと坂口健太郎が、東京スカイツリーに来て、点灯式に出席したとのことで、何年か前の松潤と石原さとみのドラマ「失恋ショコラティエ」と同じだなあと思いました。「失恋ショコラティエ」の時も点灯式に松潤と石原さとみが来て、そしてそのドラマのパネル展があったので。あまり気にしていなかったけれど、今後もバレンタインの時期はこのイベントにどんなドラマや映画がコラボしているのかちょっと気を付けて見てみようかなと思いました。

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